気まぐれ日記 2024年3月

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3月1日(金)「月初ルーチンもできるようになった・・・の風さん」
 徐々に普通の生活に戻るため、今日は月初ルーチンにも挑む。
 起床後、ストレッチを少しした。フルメニューになれば元通り。ルーチン後、マイナポータルにアクセスし、e-Tax の準備を始めた。すると、何やら準備のステップが更新されていて、そこから開始だった。色々な連携が必要だった。確か、昨年も一昨年も可能な限り連携したはずだが、また一からやり直しか。こういったコンピュータシステムはなかなか完成度が上がらないな。途中で昼食の時間になってしまった。
 インスタントのうどんを食べた。続けて、月初ルーチン。カレンダーは昨日から少しずつ更新している。洗面所の配管と鏡の掃除をした。続けて、空気清浄機の掃除だ。今日はここまで。
 ここ数日暗くなっても点灯しない玄関灯の掃除に取り組んだ。昨年も掃除したのだが、最近不安定になり、いよいよLED電球も寿命かと新品を用意してはいる。今日も脚立を準備してクラシカルなデザインの電灯を分解して掃除した。部品洗浄は前回しっかりやったので、今回は不要。普通電球で電流が通じていることを確認した後、明暗センサー付き電球に戻した。
 たいした仕事ではなかったが、昨日に続いて、午後はぐったりしてしまった。
 夕方のホットタイムのころ、日没になって玄関灯の点灯を確認できた。掃除は成功したのだ。元気が出て、その後、児童書の執筆と講演スライドの続きをやった。やはり元気が出れば仕事もできる。
 晩御飯後は、昨日に続いてエネルギー切れとなったので、さっさとシャワーを浴びて就寝モードに突入した。

3月2日(土)「日常に戻りつつある・・・の風さん」
 新型コロナは治ったはずだが、相変わらず咳が続いている。長く話ができない。知人からのメール情報で、その人も1年前に感染し、喉をやられ、咳は1か月以上続いたらしい。まあ、あとは時間が解決するしかないのかも。
 午前中の仕事は順調に進んだ。確定申告の準備も少し進んだが、まだ申告作業には入れない。小さな雑務も少しずつ片付け始めた。とにかく身辺が雑多状態である。
 昼食にまたインスタントラーメンを食べ、月初ルーチンの一つ、レンジフードの掃除もおこなった。
 名古屋の長女がリハビリを兼ねてこちらへ来たいと言う。先月の20日に手術して、24日に退院したばかりだから、こちらも恐るべき回復力だ。やはりボケ老人の私だけが取り残されている感じ。ワイフと次女は近くのショッピングモールに行くというので、そこで合流することになった。私も20日に名古屋へ行ったのが最後で、その後、ずっと引きこもり状態である。久しぶりの外出になる。
 ショッピングモール近くの駅まで、私がキャメロンで迎えに行った。ワイフと次女はアクアで先行している。
 ペットショップなどで買い物をした後、晩御飯を一緒に食べた。みんな元気で、私だけ、ぐったりしている。午後はまだこんな感じだが、夕方から徐々に元気になるはず。キャメロンの合いかぎをもう1個作った。その後マスターキーが見つからないので、修理屋の主人のアドバイスに従ったのだ。これでもう安心だ。
 長女を名古屋までキャメロンで送った。とりあえずのメガネをかけて運転した。以前よりよく見えるのは、白内障がなくなったせいだろう。あと視力が安定して、より最適なメガネに変更できれば、運転も心配が全くなくなる。
 帰宅したら、次女がビールを飲みながら映画を観ていた。それをケージの中からサラちゃんが見守っていた。ワイフはログで仕事。私はコーヒーを淹れて、ホッと一息ついてから、シャワーを浴びてさっさと就寝モードに入った。徐々に日常が取り戻されていく。

3月3日(日)「執筆でまた壁にぶつかる・・・の風さん」
 7時起床。最近、早寝早起きだ。まだ闘病中ということか(笑)。
 トーストとホットミルクの朝食後、玄関灯のLED電球を交換した。再度掃除したのに、昨夜は、まるで蛍の光のような点灯状態だった。おそらくLEDは直列接続されている。断線ではなく、LEDの一つが劣化していて全体が電圧降下しているのではないか。
 午前中はルーチンの後、確定申告の準備というか復習をした。明日から申告作業を本格化させるつもりだ。
 2週間滞在していた次女が出発した。予定より1週間余分にいたわけで、私の責任である。
 昼食に、長女が昨日持参したパンを食べた。パンだと言われていたが、ほとんどお菓子に近かった(笑)。そのパワーを得て、キャメロンで外出した。ドラッグストアで今日まで使える猫用フーズのクーポンを使うのが主目的である。晴天の日曜日ということで、車道はクルマが多く走っている。メガネなしでも、これだけ明るいと運転は全然問題ない。目的を果たしてすぐ帰宅した。
 ところが、また午後の障害が出た。疲労感で気合が入らない。集中が必要なのだが、仕方ない、あっちをやったりこっちをやったりと、たらたらと過ごしつつ、1ミリでも前進させていく。
 暗くなってきて、玄関灯が明るく点灯した。やはりLED電球に問題があったのだ。
 夕方からようやく執筆に集中し始めた。ここから思い切ったストーリー展開にすると決めている。しかし、それは決意だけで、具体的なストーリー案があるわけではない。書きながら、不思議なことにその日が3月3日になってしまった。ストーリーの展開上、その日がふさわしかった。しかし、日にちが決まっただけだ。ビックリするような展開にしなければならない。それをどうするか。今日は決まらなかった。
 晩御飯の後は、ここ数日と同じパターン。シャワーを浴びてさっさと就寝モードに入った。明日やることは決まっている。

3月4日(月)「臨死体験も日常・・・の風さん」
 毎朝、気合で一日が始まるようになったが、最後まで続くだろうか。午前中はほぼ想定通りに進行した。一つ当てが外れたのが、保険会社とのマイナポータル連携で、1社から「確認できませんでした」というメールが届いた。元々確認には数日を要するとあったので、待っていたのだが、これはいったいどういうことか。メールには、電子データは下記URLからもダウンロードできるので、お急ぎの場合はどうぞ、とあった。とりあえずそれだけもらっておこうとしたら、ログインするとき証券番号が違うと表示された。おかしい。私の持っている書類にはどちらも同じ証券番号が記載されているのだが。
 足踏み状態はよくないので、その後も、障害が起きるたびに、違うことをやりながら、とにかく雑務を減らそうと頑張った。
 ところが、結局、確定申告の準備がうまく進行せず、申請作業に入れないまま、日が暮れてきた。システムが変更されていようと、とにかく毎年やっていることだ。税理士の助けを借りるほどの事業でもない。それなのに、このていたらく。もう第二の現役をやめろということか。しかし、依頼がある限り、それはちゃんとやっていきたい。悩めるボケ老人の日々が続く。
 いくら何でも・・・と児童書の執筆の続きに取り掛かった。昨日、障害を突破できそうなところにたどり着いていた。
 今日は、来週以降のスケジュールもいくつか確定させることができたので、晩御飯後、思い切って hairdye を強行した。月に2回、ちゃちゃっとやることだ。当面のスケジュール(人と対面する場面)があれば、気合が入る。
 就寝モードに入ったとき、今朝の気合がやや空回りしていたことに気付き、反省しつつ眠りに落ちた。私の場合、途中で目覚めることはほとんどないので、これは臨死体験である。日常だ。

3月5日(火)「壁にぶつかり、抵抗するボケ老人・・・の風さん」
 相変わらず咳が止まらない。少ししゃべるとすぐに咳き込む。だから、朝、アレクサに「今日は何の日?」などと気楽に聞けない(笑)。コロナの後遺症の一つかもしれない。対策としては、書斎の加湿器を稼働させることと、のど飴くらいか。
 ストレッチもほぼフルメニューに復帰した。ただし、まだ負荷は軽め。ルーチン後、確定申告の作業を始めた。これまでは準備で、色々とやったが、完璧は無理だった。ある保険は、マイナポータル連携ができていない。代理店に電話で尋ねたら、あらゆる保険会社、あらゆる保険商品がマイナポータル連携の対象になっているわけではないとのこと。なので、準備はもう中断して、作業に入った。
 明日、オンライン打ち合わせがあるので、その準備をした。打ち合わせは、某社への対面セミナーについてである。その某社について公式HPで情報を入手した。知らなかったことが多かった。中期計画で、かなり大胆な生産戦略を立てていることがわかった。そういった背景がセミナーの企画につながっていると想像された。ちゃんと貢献するためには、顧客に対するカスタマイズや最適化が必要だ。
 その後は、昨日までと同じ苦しみの時間となった。色々な仕事がのろのろと進まない。突破口が見付からないこともあるし、一つ一つの作業が、おそらく遅いということもある。しかし、やはり突破口が見付からないのが一番の問題で、あえて他のことに取り組みながらひらめきを待つ。苦しいことだが、仕方ない。これを諦めてしまうと、第二の現役からも引退ということになってしまう。
 今日も明日も天気は雨で、気分も湿っぽい。困ったことだ。

3月6日(水)「確定申告でショック・・・の風さん」
 未明、真っ暗なときに目が覚めた。暑かった。理由はあとで分かった。ヒートテックのシャツを着ていた。もう必要ないシーズンに入っている。しかし、目が覚めたときは理由が分からず、コロナの後遺症の一つで、発熱でもしたかと不安だった。
 熟睡できないまま朝になり、とにかく起床。頑張るしかない。最近こればっかり。
 ルーチンを終え、コーヒーとのど飴と加湿を用意して、オンライン打ち合わせを始めた。昨日の予習(今回の顧客の公式HPをしっかり見たこと)のおかげで、すぐ話題について行けた。前もって確認したいこともリストにしてあったので、すべて確認できた。驚くような提案は先方からなかった。こうなると、いかに顧客に貢献するか、という最も重要なことに焦点が定まる。まずは、セミナーのレジュメ一式を準備して、提出することになった。すぐ始めれば、一両日でできてしまうが、他にやることがてんこ盛りなので、時間的な余裕をもらった。打ち合わせは30分ほどで終わったが、簡単な備忘録を作成して、相手に送った。返信で特に指摘はなかったので、ボケ老人としてはまずまずの仕事ぶりだったろう(笑)。
 今日も昨日に続いて雨模様だったが、昼過ぎに雨がやんでいたので、屋外タンクに灯油を補充しておいた。巡回販売車でなく、あと1回、ガソリンスタンドで灯油を買っておけば、今シーズンの灯油購入は完了するだろう。
 午後から確定申告の実作業に取り組んだ。提出する書類の作成である。マイナポータル連携で自動入力される項目があって楽ちんだが、それでも自分の判断で記入することは多い。今日ガッカリしたのは、昨年、国際的な団体3つに少額の寄付をしたのだが、どれも寄付金控除にならなかった。有名な団体なのだが、県のHPで確認すると、肩書は控除対象だが、除外されていたのだ。理由は分からない。国際的な援助は誰でも考えるだろうに、それよりも国内の方が優先なのだろうか。こんなことでは、みんなふるさと納税へ流れていくぞ(私はまだ余裕がないので流れないけど)。
 作家業(正式には著述家業という)に関する収支の計算は、明日やるので、今日とりあえず記入した段階では、納税額が示されていてショックを受けた。消費税も納めなければならないのに。
 夕方からはまた苦しみの作業に突入した。

3月7日(木)「確定申告で記入漏れ・・・の風さん」
 少し仕事のペースが上がってきたので、この調子で生きたいと早起きした。ストレッチもフルメニューをこなした。
 ルーチンに続いて、確定申告の実作業を始めた。作家業に関する収支のデータを経費の欄に記入していった。一昨年よりも昨年は収入が少なかったので、収入の計算結果は赤字(昨年の計算結果は黒字だった)。収入が減ってもそれに比例して経費が減らないのが個人事業の特徴か(笑)。赤字でも還付金がかろうじて生じた状態だったので、ちょっと変だなと思った。
 あらためて入力したデータを、昨年のデータとも比較しながら見ていくと、記入もれが多い。マイナポータル連携で自動入力される数値が増えたので、気が緩んでいた。たとえば、社会保険料。私は文美国保というのに加入している。医療費がしっかりマイナポータル連携されて自動入力されたので安心していて、肝心の年間の保険料を記入していなかった。
 そのようなものがゾロゾロ出てきた(企業年金の金額も大きいにもかかわらず、抜けていた)。
 昼食後も、集中してこのチェック作業を続けたが、疲労感が増して、書斎の椅子でダウン。約2時間半、ぐったりしていた。
 その後復活して、作業の続きをやったが、今日で消費税の計算以外は決着をつけておこうと思った。なぜなら、毎年やっている作業なのに、こんなていたらくでは、初めておこなう消費税の処置でトラブってしまう気がしたからだ。
 何とか晩御飯前でゴールに到達したので、昨日ひらめいた部分だけ、児童書の原稿を修正しておくことにした。
 昨日オンライン打ち合わせをおこなった某企業向けの対面セミナーの日程が確定した。楽しみなセミナーである。

3月8日(金)「やっと確定申告の書類が完成・・・の風さん」
 新型コロナ感染以来、早寝早起きが続いている。ウィルスのせいで体質が変わったのだろうか。ま、そんなことは多分ないので、これは、仕事の焦りの結果だ。早く仕事を進めねばという思いが、前のめりの生活リズムになっているだけ。
 今日は雨が降りそうもないので、途中で外出して用事も済ませたいと、1日がスタートした時点では思っていた。
 ルーチンを終え、確定申告の作業を再開した。いくら何でも今日中に、否、午前中にメドをつけねばと思っていた。そのため、こだわりを一つ捨てることにした。マイナポータル連携がうまく利用できそうだったので、その連携と、連携できない相手とも電子データを取得してそれを利用する。そのこだわりを捨てることにした。とりあえず、今回は書面の控除証明書などはすべてそろっている。入力できていないものを特定して、それらをすべて書面を元にして入力することにした。
 昼食をはさんで、午後もその方針で続けたら、ほぼできた。できただけでなく、還付金の数値が全く違った(笑)。これまでの作業はいったい何だったのか。方針変更から生じた新たな結果は、還付金だけでなく、貸借対照表(バランスシート)にも表れた。これまで、偶然だったが、現実と一致していた。作家業が赤字なので、家計からまとまった現金を借りていた。これは貸借対照表では事業主借という数字で記入されるのだが、現実の数字を入れて、成立していたのだ。しかし、色々な数字が入力されていくうちに、現実より大きい金額を入れないと貸借対照表が成立しなくなった。実際に家計から借りた現金以上に、家計に助けられている証拠だった。笑えるようで笑えない、悲しい現実だった。
 その事実が明らかになったところで大きく脱力し、また午後はぐったりしてしまった。
 美容院から帰宅したワイフの誘いで、しばらくぶりにホットタイムをした後、いよいよ消費税の申告に取り掛かった。3度目の勉強をしてから記入を始めたので、作業はスムーズにいった。昨年の10月からインボイス事業者になったが、その間の収入の中には、消費税が明記されているものは一つもなかった。つまり、消費税はその中に含まれていると判断して計算するのだ。零細な作家業なので、下請けはない。だから、含まれている消費税はすべて作家が納税することになる。もちろん別に消費税がもらえた場合でも、同じである。これまで優遇されていた零細な事業主は、今後、本来の消費税を納めなければならない。
 やっと申告書類がほぼ完成した。少なくとも1日か2日、このままにしておいて、頭が冷静になったところで、送信することにする。

3月9日(土)「また一つ資料ができたけれど・・・の風さん」
 相変わらず話をするとすぐ咳が出る。書斎は常に加湿しているが、それで治るわけではない。とにかく喉に刺激を与えないように過ごすしかないのだが、こうしていると、英語の発音の練習ができない。勉強はまだまだ必要なのだが。
 午後ぐったりする症状も続いている。再びストレッチを軽めに戻した。何ともボケ老人はめんどうだ。
 ルーチン後、書斎で読みかけの3冊を続けて読んだ。すべて分野が異なる。その中の1冊は、辻真先先生がコミケで販売した『迷犬ルパン 異世界に還る』だ。犯人を追うカーチェイスからいきなり異世界に飛ぶのだが、そこでは、たとえば動物が人間化している。迷犬ルパンも、一気に賢者になってしまう。異世界なので、思い切り想像力を発揮しなければ異世界とは言えない。92歳で異世界を描く辻先生から学ぶことは多い。ボケ老人は柔軟な頭脳を維持するため、あらゆる努力をするのだ。
 水曜日のオンライン打ち合わせの決定事項に基づき、提出物の作成に取り掛かった。やればすぐできることを、先延ばしするクセが私にはある。会社員時代は最重要課題から取り組めと教えられた。その教えは身についていない(笑)。完璧主義者がそれをやると、重要度の低い課題はぼろぼろと落ちていく。だから、すぐできることも、いくらかはやっておかなければならない。
 今日は、雨は降りそうもなかったが、風が強く、気温は低めだった。
 夕方までに提出物はほぼ完成した。しかし、昨日に続いて、外出はできなかった。
 実は、講演スライドの英訳も、コロナのために頓挫して、やり残していることが多かった。コロナから回復して少しずつ取り組んでいるのだが、天文学の関係が、意外と日本語と英語がすんなり対比されない。だから、自動翻訳が変だし、実際に英語のWebsiteを見ても、すぐに対象となる英語表現が見付からない。理由はまだ分からない。しかし、これを乗り越えないと、ちゃんとした英語のスライドにならないし、質疑なんてできるはずもない。

3月10日(日)「不肖の弟子・・・の風さん」
 今月、私にはやや短い時間のオンライン講演がある。一番の懸念点は咳だ。今でも会話しているだけですぐに咳き込む。オンラインなので、書斎から講演するので、加湿は必須だ。木曜日に、30分のオンライン打ち合わせをしたときも、途中で咳き込むことがあった。まだ万全ではないのだ。
 ルーチンのあと、今月のオンライン講演の準備を始めた。イメージはできているが、モチベーションをかきたてるもの、それがまだ欠けていた。
 作業はすぐに失速して、読みかけの本を読むことにした。
 新鷹会の勉強会で最も多くの指導をしてもらったのが、野村敏雄先生だった。昨年、先生の児童書を発見した。1985年の作品で、サンケイ児童出版文化賞を受賞している。『安永三年の絵師』(金の星社)だ。読んだことがなかったので、いつものようにネットで古本を入手した。小田野直武が主人公の歴史小説である。
 もうずいぶんと前のことになるが、秋田県の角館に家族で行ったとき、武家屋敷で、野村先生が書いた小田野直武を紹介する小冊子を見付けて購入した。角館は小田野直武の出身地である。『解体新書』の挿絵を原画(いわゆる『ターヘルアナトミア』の)を見てトレースし、それを元に板木がおこされたのだ。
 野村先生は、小田野直武の小説を「大衆文芸」に連載して、のちにそれが単行本になった。
 野村先生の没後、私は杉田玄白を主人公とする児童書『ひらけ蘭学のとびら』を出し、当然のように小田野直武をしっかり入れた。
 実は、その時点でもまだ、今回の『安永三年の絵師』の存在に気付いていなかった。不肖の弟子である。父子の関係に似ているかもしれない。息子は父のことを亡くなるまであまり知りたくないのである。一種の照れだろう。
 年が明けてようやく読み始めたのだが、『安永三年の絵師』は大作である。内容も本格的で、おとなが読んでもじゅうぶん読みごたえがある。こういった作品のねらいは、不思議なことに、私が受け継いでいる。先生が存命ならば、今度は先生の方が照れてくれるかもしれない。
 今日も天気はよかったが、外は風が強く、気温も低いので、外出はやめた。
 資料作成のモチベーションが高まったのは夜になってからで、最後まで完成させられなかった。

3月11日(月)「たっちゃんへプレゼント・・・の風さん」
 2日間寝かせておいた、確定申告の資料を送信しようと、ごく普通にWebsiteへアクセスし、始めたのはよかったが、せっかく作った途中までの資料がまた使えないという愚かな事態に遭遇した。すべて私のボケのせいで、所得税の計算をする資料では、また手入力が始まった。それでも金曜日までさんざんやっていた作業なので、スラスラと記入していったのだが、あれ? 前回も記入してなかった資料が出てきた。ワイフの生命保険の控除証明書が1件、確かに・・・。それを手入力したら、控除額が限界になった。再入力によって少し稼ぐことができた(笑)。
 結局、午前中いっぱいかかって、消費税の申告も含めてすべて送信完了した。
 やっと春らしい陽気になったので、キャメロンで外出。買い物を1件してから、GSで満タン給油と、この冬最後になるかもしれない灯油購入をした。
 帰宅してから、一昨日ほぼ完成させることができた提出物(某社セミナーのレジュメ)を、再チェックして送付しようとしたら、また疲労感。寿命が尽きかけている感じがするが、仕方ない、読書をしながら、体を休めた。
 本名で出した本のひとつ『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』(日刊工業新聞社)の3刷見本が届いた。セミナーが今でも続いているのだが、在庫がなくなったので、担当編集者が気を利かして増刷してくれた。他社主催のセミナーや講演も続いているので、少しずつ改良を加えながら頑張っていきたい。早速、日刊工業新聞社へメールで連絡した。
 夕方、長女夫妻がやって来た。実は、旦那がラーズ・ヌートバーに風貌が似ているので、WBCで活躍した時の写真をネットで入手し、写真立てに入れて用意してあった。それを2つプレゼントしたら、苦笑していた。実は、旦那も名前が「たっちゃん」なのだ。偶然とは恐ろしい。これから、しばらくはヌートバーを意識して生きることになるだろう(笑)。
 就寝前に、やりかけた資料の再チェックをし、セミナー主催者へ送付した。納期まで日にちがあるので、修正があれば応じるつもりだ。

3月12日(火)「半年遅れのアクアの点検・・・の風さん」
 半年遅れのアクアの1年点検のため出発。半年前の義父の急逝から、色々なことが起きて、とうとう今日までずれ込んでしまった。
 今日はあいにくの終日雨予報だ。
 通勤時間帯よりはやや遅いので、渋滞はないだろうと思っていたところ、以前もなかった反対車線のある区間が大渋滞だった。大型トラックではなく、乗用車がほとんどなので、通勤渋滞だと思われる。最近立ち上がったビジネスがこっちの方にあるのだろうか。
 アクアを購入したカリチューで、点検依頼はすぐ終え、買い替えの相談と雑談を1時間ほどおこなった。新車情報は、やや上向いていて、私としては、安心感のためにぜひ買い替えをしたいのだが、悩みがないわけではない。夕方までにアクアを受け取ることにして、代車で出発。
 銀行のATMで通帳の残高確認、ドラッグストアでまとめ買いをしたあと、コンビニでパンとコーヒーを買って食べた。その後、市立図書館へ。ここまでは作戦通りの行動だ。相変わらず雨がしっかり降っている。
 図書館は場所を借りただけで、持参した本を次々に読んだ。自宅にいても読むはずの本だ。しかし、約2時間、まとまった読書時間がとれた。
 予約してあった歯医者へ行った。半年ごとにおこなっている検診で、歯石除去が主な治療になる。病院が近くへ移転していたので、ちょっとあわてた。新しい建物は以前よりコンパクトになり、やや落ち着かない。毎回、歯科医を限定しないので、今日も初めての人が担当だった。こういう人は初めてだったのだが、やけに営業的で、高額の治療を勧めてきた。その手に乗るほど私も若くはない(笑)。
 カリチューへ行き、点検の終わったアクアを受け取ったが、社長から買い替えの場合の見積もりができていた。現在のアクアに問題はなく、正確な見積もりができたからだ。私は十分満足した。
 帰りは、雨が上がっていて、青空ものぞいていた。
 帰宅したところまで、予定通りに進んだのだが、やけに疲労感があったのは、新型コロナから回復して初めての長時間外出だったからだろう。

3月13日(水)「悩めるボケ老人は・・・の風さん」
 今日から近くの国際展示場でモノづくりに関係する展示がある。わざわざ東京ビッグサイトまで行かなくても見られるので、これはお得だとエントリーをしておいたのだが、自分のやるべきことがノロノロと進まず、今日はとりあえず断念。明後日まで開催されているので、できれば行きたい。
 英語の勉強の一環で、就寝前にiPadminiで映画を観ている。少しずつなので、1本観終わるのに3〜5日かかる。先週、デンゼル・ワシントンの「タイムリミット」を観た。単なるアクション物かと思って観始めたら、ミステリータッチになり、謎が分からなくなった。ところが、最後は、ちゃんと夫婦の物語(倦怠期であり、互いに仕事を持っていてそれがかなり重職になっていて、・・・)しかも、相手役のエヴァ・メンデスが魅力的で、お洒落なストーリー展開だったので感心した。ストーリーが面白いだけでなく、大人向けの、成熟した作品は、やはり同じクリエイターとして学ぶべき点が多い。
 その勢いで、ロバート・レッドフォードとブラッド・ピットが共演する「スパイ・ゲーム」を観た。これもアクション物かと思って観始めたのだが、どんどん深い話になって行った。結局、共演する二人が、それぞれのアイデンティティと言うか存在意義、レゾンデートルを極限まで追求したという感動的な物語だった。普通の人間は、さまざまなしがらみの中で、妥協しながら生きていく。そうでない生き方をした人間が、成功すると、できない普通の人は喝采する。スポーツの世界が最も分かりやすいか。しかし、それは何もスポーツの世界だけではないのだ。これも同じクリエイターとして学ぶべき点が多かった。
 本当は英語の勉強の一環だったのだが、悩めるボケ老人は、本来は小説家なのである。英語ばかりに注意と関心が向いているわけではない。

3月14日(木)「上京計画が確定・・・の風さん」
 円周率(3.14)の日だ。何かいいことあるかな。
 自分の仕事が遅れているので、何とか挽回しようと、今日も展示会はパスの覚悟で一日をスタートさせた。
 ルーチンの後、色々な人との交流の中で、今月後半のスケジュールが決まって行った。上京スケジュールである。先に、相手と会う約束をしておくことにした。準備ができてからでは遅い。いくつかの提案が成立したので、確定した。他が未成立でも上京はする。そして、それに向けて、自らに鞭打つことになる。新型コロナから完全に回復したわけではないが、いくら何でももう本来のペースに戻らねば。否。加速させなければ。
 午後の途中まで、そういったことに夢中で取り組んだら、また失速した。ここでダウンするのはあまりにも情けないので、読書タイムにした。
 今日は、辻真先先生の『迷犬ルパン 異世界に還る』を読了した。現世と異世界を行き来しながら、漫画のようにテンポの速いストーリー展開だったが、破綻することなく最後まで到達した。いやはや、驚くべき想像力。これくらいのとんでもストーリーを読んだことは、やはり現在苦しんでいるボケ老人には最良の薬だったろう。
 ダウンしなかったので、体力も回復しなかった。展示会に行けなかっただけでなく、今日やろうと思ったミッションの一つ、e-Taxは無事受信されたかの確認をするのを忘れた。明日がタイムリミットだ。
 こうして、今年も円周率の日はあっという間に終わってしまった。

3月15日(金)「なぜか午後ダウン・・・の風さん」
 朝の軽いストレッチをやり、朝食の準備をしながら、ふとiPhoneを見ると、メルカリ出品が売れていた。今年は多忙でほとんど出品はしていない。古い出品がこうしてたまに売れる。ソフトカバーの単行本なので、梱包は慣れたものだ。朝食後、材料一式を用意して、ちゃちゃっと梱包。
 コンビニまでキャメロンで走り、ネコポスで発送してきた。購入者へ連絡すると、対応の早さを喜んでいた。無事に届けば、一件落着。もちろんメルカリ出品は身辺整理の一環だ。
 今日は確定申告の最終日。e-Taxの受信通知の確認を昨日するのを忘れていたので、ルーチン後の初仕事はそれになった。昨年は、申告資料のミスを発信後に気付いていて、数回、やり直した。なので、不安な日々をしばらく過ごさなければならなかった。今年は、ミスはなかったようなので、残るは消費税の納入だ。できれば書斎からPCまたはiPhoneでやってしまいたい。
 雑務を終えた段階で、今日もパワー不足を感じたので、午後は昼寝から入ることにした。展示会見学は既に諦めた。
 そのまま夕方になってしまった。これは変だ。体調不良なのだろうか。あとで思い付いたのだが、予防策で花粉症の薬を朝食後服用している。それが効いてきたのかもしれない。明日は、花粉症の薬の服用をやめてみよう。
 一方、拙宅で療養中の長女もあまり体調は良くないみたいで、自室で寝ている時間が長い。元気なときは激務をこなしていたのだから、今は、ゆっくりした方がいい。私も明日にかけることにして、寝不足ではないが、早めに就寝することにした。

3月16日(土)「こんなこともやっている・・・の風さん」
 小野友五郎を主人公にした『怒濤逆巻くも』上下巻(新人物往来社)を出したのは、2003年である。その後、出版社が買収されたとき、新たな出版社で4分の3に圧縮した文庫版を出版した。買収した会社も大手に吸収され、その間に、『怒濤逆巻くも』は単行本も文庫も絶版になった。
 私は、『怒濤逆巻くも』が縁で、咸臨丸子孫の会の特別会員にしてもらえた。ご先祖さまは、咸臨丸には乗船しなかったが、家族のように受け入れてくれて感激し、今日にいたっている。一方、『怒濤逆巻くも』では、小栗上野介もほとんど主役に近い描き方をしたので、小栗上野介顕彰会とも長いお付き合いになっている。
 小野友五郎は現在の茨城県笠間市の出身である。地元には当然友五郎を尊敬する人たちが多くいて、顕彰会の設立が望まれていた。私も『怒濤逆巻くも』がきっかけで、そういった方たちと知り合うことになり、微力ながら応援してきたのだが、昨年、小野友五郎を伝えてゆく会が、体制を整えて総会を開くところまで来た。
 幕末史研究会というのがある。長く小美濃さんという方が会長として運営されてきたが、先年、お亡くなりになり、同研究会は、咸臨丸子孫の会が運営を引き継いできた。新型コロナもだんだん下火になってきたこともあり(というか、私自身が新型コロナからようやく回復したこともあって)、久しぶりに研究会に出席することにした。
 動機はそれだけでなかった。
 小野友五郎を伝えてゆく会には、既に小栗上野介顕彰会の紹介と対面を実現していた。次は、咸臨丸子孫の会との交流を始めたいと、伝えてゆく会の会長も発言していた。
 偶然とは重なるもので、咸臨丸子孫の会は、今年度の活動計画として、笠間訪問を検討していた。
 二つの会を対面させ、笠間訪問を共同開催することが、今後、小野友五郎を伝えてゆく会の発展につながると確信したので、仲介をしていたところ、今日、やっと、24日の幕末史研究会に、小野友五郎を伝えてゆく会から、会長、副会長、事務局長の3人が参加することが決まった。

3月17日(日)「こんなこともやっている(2)・・・の風さん」
 和算小説を書いてきたので、和算研究者との交流も長い。その一つに、全国和算研究大会というのがある。県単位の和算研究会がいくつかあって、年に一度、全国大会を開催してきた。初期段階から参加していたので、状況は私もいくらか分かる。近年は、県単位の和算研究会のない県での開催が多くなってきた。和算研究や和算愛好者のためである。問題は、開催を運営する事務局をどこにするかである。当然、隣県の研究会が候補となる。たとえば、千葉大会は海をはさんで神奈川和算研究会が事務局を担当した。栃木県では群馬県和算研究会、私が張り切って大会長をした秋田では岩手県和算研究会など。
 そうこうしている間に、単独参加の私も、いつのまにか、全国大会の開催を議論する代表者の一人になっていた。昨年の長野大会は長野県和算研究会が運営したが、やや苦肉の策の2回目の開催だった。それが決まる前に、私が、まだ開催運営したことのない、某県の和算研究会会長と交渉し、いつ開催できるか話し合うということがあった。また、2027年は『塵劫記』の初版発行から400年になる。50年前の350年の時には、いくつかの団体が様々な記念行事をやり、有名な塵劫記の碑が京都の常寂光寺の境内に建立された。来たる400年にもそういったイベントが予想され、私はたとえば近畿和算ゼミなどに今から準備しようと発言したりしている。
 この『塵劫記』出版400年の年の2027年には、全国和算研究大会はゆかりの土地京都で開催されるのが望ましい。ところが、京都には和算研究会はないので、近隣の団体が運営の候補となる。
 今年の全国和算研究大会は、埼玉で開催され、運営は群馬県和算研究会がおこなう。2025年は岩手、2026年は福島で開催される可能性が高いし、運営する研究会もほぼ決まっている。そして、2027年は『塵劫記』400年にちなんだ京都になるが、まだ運営母体は決まっていないのだ。
 何事も継続は重要だが、大変な努力が必要だ。和算小説家は、和算小説を書いているだけではなく、和算研究の裏舞台でも、東奔西走している。

3月18日(月)「障害物競争・・・の風さん」
 冬が去ると、また屋外作業の季節になる。裏の土地の草刈りでは、法面(のりめん)が作業がやりにくいので、これまで色々な方法を試してきた。画期的な方法はまだないが、少し早めに除草剤を散布しておくことにしていた。ところが、今年は、自分の新型コロナ感染というハプニングを筆頭に、色々なことが続き、その作業が遅れていた。
 天気予報に注意しながら、昨日の朝、その機会が来たと思った。除草剤は土にしみ込ませるのではなく、葉っぱなどから吸収させて、枯れさせるタイプである。自宅の周辺は先日それをやり、期待通りの効果を上げていた。昨日と今日の天気予報に雨がないと分かったので、朝食後、すぐに実行した。
 裏の土地へ行ってみると、ちょっと見ない間に、ぼうぼうと雑草が伸びて、赤や黄色の花を咲かせていた(笑)。遅かった、と思ったが仕方ない。四角い土地の周囲に除草剤を散布した。
 ワイフと長女は、今日は実家の母を慰問に出かけた。
 私は昼から予約していた床屋へ行き(今年初めてである)、昼食後、日本数学協会のオンライン臨時総会に参加し、来週のイベントに備えて、 hairdye を強行した。
 5月の出張セミナーでは、近隣でのイベントもあるので、4泊5日のロングスケジュールを組むことにした。前泊はセミナー主催会社に任せるつもりだが、それ以外の3泊は自分で決めた。うまい具合にすべて予約もとれた。
 新型コロナの絶滅は見えないが、世の中は確実に元の動きを見せている。私も乗り遅れないようにしなければならない。
 作業が順調に進んでいたのに、突然雨が降り出した。だんだん強くなった。
 ・・・そして、今日である。
 朝から風が強く吹いていた。午後、かかりつけのクリニックへ行った。先月発熱外来を受けて、薬をたくさんもらった病院だ。次から次へと障害が起きる人生。現役時代、会社の上司から「あんたの仕事のやり方は障害物競争みたいだな」と評されたことがある。問題となっていること、困難なこと、普通の人がやりたがらないこと、そういったことばかりを選んで仕事するタイプだった。定年退社して早10年、自分でそうしているつもりはないのに、同じような生き方が続いている。

3月19日(火)「ボケ老人対策?・・・の風さん」
 名古屋へ行くワイフを駅まで送った。最近早寝早起きだし、朝のルーチンが減っているので(50年のコンタクト卒業)、難なくこなせる(笑)。
 10時半からのオンライン講演のため、朝食後、事前準備。昨日見直したスライドを見ながら、ジョークを入れられそうな個所をしっかり決めた。反応が分かりにくいオンライン講演だが、相手の立場を考えれば、たいくつな話では印象が悪い。あと気を付けることは、咳対策だ。長く話し続けると、とつぜん咳き込むことはまだある。書斎の加湿器を稼働させた。運営事務局と事前打ち合わせを終えてすぐ、飴玉を口にほうりこんだ。
 11時から講演がスタートした。50分間の持ち時間は、私の講演としては短い。オーバーしないように、目の前に電波時計も置いた(笑)。
 11時50分にピタリと講演を終えた。途中で咳き込むこともなかった。用意したジョークもほとんど入れた。先ずはホッとした。
 12時から質問回答コーナーになり、たくさんの質問があった。ほとんど講演で話した内容で、さらに事例はないか質問された。良い質問だ。しかし、すぐ答えられる材料に乏しかった。盲点だった。講演内容を繰り返しながら、頭のすみっこで考えたが、それ以外の事例が浮かばなない。司会者が助けてくれたものもあった。今回の質問は勉強になった。
 キャメロンで外出し、JAとUFJに行ってきた。日銀のマイナス金利が解除される記念すべき日、貧乏な私は定期を1件途中解約した。アクアの車検が近いからだ。窓口の女性が「急に必要になったのですか?」と聞いてきた。ボケ老人が振り込み詐欺に遭っていないか確かめたのだ。
 長女の希望で、サンルームにサラちゃん見守り用ネットワークをカメラを設置した。同じスマホアプリが使えるように機器を選定したので、たちまち接続できた。アプリ内にカメラが4台になった。しかも、私のiPhoneのアプリ内で追加しただけで、長女たち他の家族のスマホも自動追加された。茨城の次女からも「見れたよ」と連絡があった。すごい時代だ。逆に、だからセキュリティが重要なのだが。
 子どもたちからすれば、ネットワークカメラは、サラちゃんだけでなく、私たち夫婦の見守り用でもある。

3月20日(水)「彼岸、雨中の墓参・・・の風さん」
 毎週水曜日はミックスペーパーのゴミ出しの日(祝日でも変わらない)。真夜中に仕事をしていることの多い私は、早起きはとうてい無理だったので、まだ星影が残る空の下、とぼとぼと集積場まで歩いてゴミを出しに行っていた。
 が、今は違う。異変が起きている。早寝早起きがまだ続いている。起床後、ゴミ袋を持って行ったら、一番ではなかった。先にゴミを出した人がいたのだ。それにしても今日は風が強い。花粉症がうずく。
 朝食後、ガマンできずに花粉症の薬を飲んだ。ルーチン後、花粉症は治らず、副作用の猛烈な倦怠感だけが襲ってきた。書斎でぐったりしてしまった。
 長女がまだ起きてこないので、ワイフと昼食を摂り、その後、墓参に行った。彼岸の日の墓参となった。相変わらずの強風だが、ときどき小雨もぱらつくあいにくの天気だ。心月斎の墓地に着いたら、雨がしっかり降って来た。急いで墓参を済ませた。
 毎年恒例の、会社の先輩が出品する陶芸展が開催されているので、長女をともなって見学に行った。現役時代からずっと見学しているので、大きな流れの中で私は作品を見て楽しむ。この陶芸展の最大の特徴は、バラエティに富んでいることだ。様々な作風の作品が見られるので楽しい。そして、個々の作品と言うか作者は、年月とともに変化する。人生の縮図なのかもしれない。
 今日は、新入社員の時に、私が計画した設備を設計してくれた方と再会できて感慨深かった。
 帰宅したら、ワイフが、「そろそろ中継が始まっているんじゃない?」と言ってテレビをつけた。大谷翔平、ダルビッシュ有らが登場する韓国シリーズの初戦である。自分から積極的に見る余裕はないが、放送が始まってしまったら、顔をそむけるわけにはいかない。否、できない。最後まで見てしまった(笑)。日本人選手はそれぞれ活躍したので、何となくホッとした。一喜一憂する気持ちを楽しむ余裕はボケ老人にはない。
 いつのまにか花粉症が治っていたので、できなかった仕事が気になった。外では相変わらず強風が吹いている。

3月21日(木)「術後のことなど・・・の風さん」
 朝刊を取りに行くついでに、自宅周辺を見て回ったら、昨夜の強風の痕がすさまじかった。勝手口のすみっこに置いてあったバケツは中身ごと散乱していたのはまだ想定内だったが、裏の土地へ行ってみると、植木鉢がひっくり返っていたり、小屋の雨水用チェーンが立木にからまっていたり、自慢のオリジナルセンサーライトの保護カバーがやぶれていた。
 しばらく自宅で療養していた長女が帰るので、ワイフが名古屋までアクアで送って行った。よく自分で運転する気になったものだと感心した。
 サラちゃんと留守番だが、たまっている仕事は多い。来週東京で打ち合わせをするための準備をすることにした。本名での仕事だ。まだ私でも世の中に貢献できるかが最大のポイントである。今から40年以上も前、就職するとき、小説家になるのが夢だが、それまで自分が世の中に貢献できるのは技術者だと自覚して愛知県までやってきた。プロデビューできても、自分の価値として、小説家の方が上になることは、定年までなかった。しかし、定年になったら、もう話は違う。いかに小説家としての自分の価値を高めていくか、それしかなかった。
 とは言え、ここまで、まだ本名の活動は続いている。鳴海風の価値が本名を圧倒できていないというの現実だ。
 本名での活動とは言え、顧客が存在するのは、鳴海風と同じだ。直接顧客との交流が減っていたので、ネット検索をしたら、良いアンケート調査結果が出ていた。統計処理データでなく、生の声がそのまま書かれていたのが貴重だった。早速、来週打ち合わせをする出版社へも送った。
 今日、長女は帰ったが、病院へも行った。ワイフがそれに付き添った。手術後の検査結果と今後の治療方針が明確になった。病気になったのは不運だったが、治療が、比較的軽いものになったのは幸運だった。
 明日は、私も眼科へ行き、術後の状況の診察を受ける。主に運転が目的だが、メガネの処方箋が得られるかが、術後の安定具合を測るものさしとなる。

3月22日(金)「私の術後の変化・・・の風さん」
 ルーチンを終えて、キャメロンで出発。途中駅から電車で名古屋の眼科へ。
 今日は診察だけだが、そろそろ落ち着いているだろうと、看護師にメガネの処方箋を作ってほしいと頼んだ。そのつもりで来たのだ。ところが、ここで予想外のことが起きた。右目の視力が以前よりも良くなっていて、1.0だった。乱視もほとんど自覚されず、看護師から「バッチリ見えていますから、メガネは不要でしょう」と言われた。より不安定だった左目も、いくらか落ち着いていて、0.7。乱視はうっとうしいが、看護師に言わせると「それほどひどくないですよ」。処方箋を作ってもらったら、帰りにメガネショップに寄って、先月作ってもらったメガネのレンズをそれで更新させるつもりだった。その考えがもろくもくずれた。次回の診察は5月なので、そのとき、もう一度視力検査をして処方箋をどうするか決めることにした。
 確かに、最近、文庫本を読むのをつらく感じていた。眼内レンズの焦点距離は、中間距離が見えるように設定してもらったのだが、1.0も出るとは意外だった。メガネは運転用なので、少なくとも右目は何もしなくていいレベルだ。あれこれ考えているうちに、妙なことに気が付いた。1月の手術後、飛蚊がひどくなってうっとうしいと思っていた。視界が明るくなったのだから、「飛蚊がよく見えて当然」と執刀医からも言われていた。それが、最近、気にならなくなっていたことに、今日、とつぜん気が付いた。白紙や鏡を見るとうじゃうじゃ飛んでいた黒い物体が、ほとんど気にならないレベルになっていた。いったいどこへ消えたのだろう。そもそも飛蚊は硝子体内部のにごりが最もベーシックな原因で、簡単に消滅するものではない。しかし、とにかく気にならなくなったのだから、硝子体内部で何らかの変化があったのだ。しかも、良い変化。ありがたい。
 結局、往路と逆のルートでまっすぐ家に帰り、やや遅い昼食(インスタントラーメン)を摂った。
 今日は入院手術の診断書ももらったので、保険請求書類も作成した。明日、投函する。

3月23日(土)「難題が一つ前進・・・の風さん」
 今日は終日雨の予報。春先とは言え、こういった陰気で冷え冷えした天気は、気分もふさぐ。
 いちおう早起きは続いている。ルーチンを終えて仕事に取り掛かっている時に、地震があった。当地は震度2だった。それでも2階にある書斎はしっかり揺れた。書斎の転倒防止を急がなければ。
 実家の義母が体調不良で入院することになった。昨年亡くなった義父の認知症の初期症状と似ている。一人暮らしで、家から出たがらないため、人との接触が少ないのも影響している気がする。トール教室中のワイフが、教室を中断して病院へ行くことになった。
 昼食後、投函に行った。雨でなければ歩いて行くのだが、今日は雨なので、ちょっと横着してキャメロンで行った。直前でメルカリ出品が売れたので、投函は2通。私の保険請求とメルカリだ。
 2時から、オンライン配信で知人の演劇を鑑賞した。どんな感じになるのか全く予想できなかった。全体はミニサイズの宝塚。歌や踊りのあるお芝居だ。出演者は4名。たまたまか、全員女性。演技も歌も踊りも上手だった。時間は45分間。現地にもリアル鑑賞者がいたかもしれない。YouTubeのライブ配信の形だった。カメラは固定で、どうもマイク付きらしい。こういった機器はもっと優れたものにするべきだ。でないと、出演者のパフォーマンスが十分伝わらない。
 明日から出かけるので、その準備をしなければならないのだが、打ち合わせを予定している月曜日の準備が悩ましい。内容が難しいのだ。
 夕方、ワイフが帰宅。義母は月曜まで入院する(本人がいやがっているので)。来週、ケアマネとの相談が必要だ。義母は現在要支援1だが、あえて要介護1にしてもらい、ケアを受け入れるようにした方がよさそうだ。
 難題の一つが少し前進した。これは大きい。月曜日の打ち合わせの一つがちゃんと議論できる。とにかく、私自身も、冗談半分のボケ老人が、マジのボケ老人になりかねない年齢だ。どうやってそれを防ぐか、頭脳をフル稼働させてチャレンジするしかない。

3月24日(日)「ここも日本だ・・・の風さん」
 以前から上京するとよく雨に降られた。なので、自虐的に自称東京雨男などとうそぶいていた。
 今回は、久しぶりに東京雨男らしい。
 往路の新幹線は切符予約が遅かったので、こだまのグリーン早割が取れなかった。なので、思い切ってのぞみの自由席だ。満席だったら、指定席車両に移動し、割高の指定席券を買うことにした。
 のぞみなので、自宅からの出発は、ややゆっくりになった。ルーチンを終えてから出発。しかし、雨が降っているので、傘をさしながら駅まで歩いた。
 今回の上京では、空いた時間には英語の勉強をしっかりやるつもりだ。
 のぞみの自由席にうまく座れたので、ワイヤレスイヤホンで英語を聴きながら、東京まで頑張った。
 初めて新宿歴史博物館へやって来た。四ツ谷駅からは傘をさしながら歩いた。ここで、幕末史研究会があり、久しぶりの参加である。
 今日の最大のミッションは、ここで、咸臨丸子孫の会と小野友五郎を伝えてゆく会の交流開始を取り持つことだった。
 興味深い鉄砲に関する講演を聴いた後、懇親会で、両会の打ち合わせができ、咸臨丸子孫の会の10月の笠間訪問がほぼ確定した。さらに懇親会に出席していた多くの方達へ小野友五郎のことや伝えてゆく会のPRもできた。咸臨丸子孫の会からは、6月の幕末史研究会と10月の笠間訪問の時に、小野友五郎をテーマに講演してほしいと頼まれた。
 東京のホテルの宿泊料金が跳ね上がったので、定宿などなくなり、安い宿を探すことが毎回になっている。安いと言っても、1泊1万円を下回るところはほとんど見つからない。前回は、歌舞伎町のホテルに泊まり、ホストクラブがひしめく状況などを目の当たりにした。今回も、新宿で見つけたホテルだが、入って行くと、宿泊客が若い外国人ばかりだ。半分は黒人で、ちょっと異様な雰囲気を感じた。定宿にする気はない。とにかく前回と同様に、現代の日本の特徴というか現場を見学することは重要だ。
 ホテルでも英語の勉強に精を出したが、外国人宿泊客のしゃべる英語は聞き取れない。私はちゃんと英語を話したり聞いたりできるようになるのだろうか。不安はつのるばかり。

3月25日(月)「東京ミッションはまずまず・・・の風さん」
 ホテルの朝食を食べに行った。無料なだけにトーストとジュース、コーヒーだけだ。短い朝食時間だったが、その間、カフェには常に20人くらいの宿泊客がいたが、私以外の日本人は多い時でも1人だけだった。昨日感じた違和感は、今や現実となって脳に焼き付けられた。インバウンドに今後も力を入れて行けば、やがて全国津々浦々、こういった光景が日常になる。私がよく口にする「日本のディズニーランド化」である。
 部屋でメールチェックなどをしっかりやってからホテルをチェックアウトした。泊まった自分の部屋の前に小さな個室があり、何となくイスラム教徒のためのお祈りスペースだと思ったので、フロントで聞いたら、その通り、とのことだった。1年を通して外国人客が多いとのことだった。
 今日も雨だ。予定通りの地下鉄に乗って、神保町の最初の目的地へ向かった。
 午前中は、某出版社で、絶版になった拙著が復刊できないか相談した。立場上、最初にPRをしっかりさせていただいた。いくつかのアピールポイントの中の一つが「ビンゴ!」で的中したが、課題も多く、とりあえず拙著を読んでくれるというので、持参の本を置いて打ち合わせを終えた。NGも覚悟していたので、期待以上の感触が得られたことになる。
 地下鉄で人形町へ向かった。あいかわらず雨が降っているので、移動などやることが面倒くさい。昼食はラーメン屋に入った。意外と安い。このあたりは、値上げラッシュから周回遅れなのではないか。
 午後は、某社で改訂版の出版とセミナーの企画の相談だった。それぞれ担当が違うので、続けておこなった。どちらも企画書(案)は私が用意していた。改訂版の方は、企画(案)が検討のベースになったので、話が弾み、編集者がさらに考えて社内企画にかけてみるというところまで進んだ。社内企画を通すためにはそれなりのテクニックが必要だ。そして、企画が通ったら、本当の中身の検討になる。セミナーの企画(案)はたたき台にもならなかった。担当者から逆提案があり、それに基づいて、もう一度、私が内容を考えて提案することになった。
 これで今日のミッションは終了となったが、雨の中の移動は、けっこう体力を消耗した気がする。気持ち的には、仕事が前進したので、高揚感というか新たなモチベーションが高まっていて、疲労など気にしていないのだが。
 復路は、こだまのグリーン(早得)がとれたので、広いスペースで好きなことをやって過ごした。でも、居眠りをしなかったのは、やはり気持ちが充実していたのだろう。
 帰宅してワイフから聞くと、母(義母だが面倒なので、今後母で通す)は今日は退院していなかった。主治医がせめて1週間、治療をしたいと言ったからだ。入院していても、自宅に戻っていても、どちらも心配だ。いっそ我が家でのんびり過ごしてほしいと思うのだが、母はそれを受け入れようとしない。父亡き後の自宅を守るのだとか、子どもに迷惑はかけられないとか、主張を曲げないのだ。

3月26日(火)「雷雨は上がったが・・・の風さん」
 雷雨である。明るい未来を予想したい春なのに。世の中も暗いニュースが多い。マスコミが特に不安をあおるニュースを選んで報じている気がする。幸福感が減少しているから、他人の不幸を見せて自分はまだマシだと思いたい心理につけこんでいるのではないか。
 朝食後、風呂釜洗いをした。風呂(26)の日なので、2か月に1回やっている。風呂釜を洗った後は、当然風呂掃除をするので、本当は晴れの日にやった方がいい。窓を開けて浴室内の乾燥が早くできるからだ。しかし、何でも最適ばかりは追求できない。今日は、ついでに、浴室内の換気扇のフィルターの掃除や、ユニットバスのすみっこに見られたカビをとるため、カビ取り洗浄液を使った。
 昼を過ぎてもまだ強い雨が降っていたが、雨雲レーダーで確認すると、午後3時以降雨雲は東へ去り、晴れる。実家に用があるワイフも、安心して出かけた。明日のことも考えて、今夜は実家に泊まるという。
 その後、私もキャメロンで外出し、ドラッグストアでまとめ買いをしてきた。
 上京後の片付けもあるが、一方で、上京がきっかけで進展したこともある。ボケ老人だとうそぶいているだけではいけない。着々と次のミッションをこなしていかなければ。
 そういう中で、難物の一つが英語だ。2月の英語での講演は、新型コロナ感染というハプニングで延期になった。あれからひと月。仕切り直しで、スケジュールが再度決まった。6月である。3か月あるが、必死でトレーニングをしなければならない。講演内容は推敲を重ねれば、少しずつレベルは上がっていく。しかし、苦手のオーラルは、相当な努力が必要だ。
 以前、オーラルの仕上げの一つとして映画鑑賞を考えていた。どれだけ実力がついたか確認できると思った。
 ワイフがいないので、リビングでAmazonprimevideo「ザ・バットマン」を観た。昔観たことのある映画だと思いつつ、何気なく観始めたのだが、どうも違う。2度で半分くらいまで進んでいた。残りを観たのである。
 2022年の新しい映画だった。舞台のゴッサムシティも現代の架空の都市だ。バットマンの人物造形も新しく、衣装だけがほぼ昔の通りだった。テーマやストーリーもなかなか重厚で見ごたえがあった。約3時間の映画なので、一気に観たら完全にこの世界に没入してしまうだろう。
 おっと映画評論をしている場合ではなかった。英語は相変わらず聞き取れなかった。字幕があっても、使っている単語が予想できても、それが聞こえてこない(たとえば使いっ走りだから run errands だろうと思っても、そのかけらも耳がとらえない)。

3月27日(水)「私のオリジナル変化点管理・・・の風さん」
 2017年に本名で出した『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』(日刊工業新聞社)が、今年3刷が出た。変化点とは意図しない変化、想定外の変化、異常のことを言う。そういった変化に対する品質管理法をまとめた本だ。出版時点で、同じ意図の本はなかった。
 この本の5ページに、最初のコラムが入っている。まだ導入部分だ。タイトルは「最初の対応の違いで大きな差」。ジョンソン・エンド・ジョンソンの有名なタイレノール事件のことを書いた。新聞社に届いた毒物を入れたという情報に即対応した。顧客の安全を最優先に、あらゆるメディアを通じて、この情報を公開する一方、店頭からの商品の回収を進めた。予想もしなかった事態への機敏な対処の事例である。結局、毒物混入の真偽は不明のまま終わったが、同社の姿勢は、のちに高く評価され、かえって売れ行きが伸びたという。
 世間では紅こうじのニュースが盛んに取り上げられている。事態を把握してから公表するまで2か月以上もかかった結果だと言える。東アジアで昔から利用されている紅こうじなのに、まるで紅こうじそのものが悪いような印象を与えている。会社側は、意図しない物質が含まれてしまったと言っているが、マスコミに取り上げられる前に、自社でしっかり説明しておけば、これほどの騒ぎにならなかったのではないか。顧客は不安でいっぱいで、死亡ふくめて入院にいたった人たちは、これからも増え続けるだろう。もちろん同社の信頼はがた落ちだ。
 私が定義して重要だというメッセージをこめた変化点管理の本だが、さらに力を入れて、改訂版を作り、セミナーも続けようと月曜日に打ち合わせた。ボケ老人は、まだまだ頑張らなければならない。

3月28日(木)「悟れないのか・・・の風さん」
 このところ、天気が不安定だが、桜の開花の時期だ。東京では、新宿の歴史博物館の中庭のコヒガンザクラが咲いていた。当地は、南知多町の河津桜が咲き終わったが、ソメイヨシノはこれから、東京よりも少し遅く咲く。人生もうひと花くらい咲かせてもいいと思っているが、悪戦苦闘している我が身をすなおに振り返ると、それは簡単なことではないと思う。
 自分のことがうまく行かないでいると、周辺のことも引きずられてうまく行かない。ネットニュースなどで、世の中のことを見ていても、それを強く感じる。ところが、あらゆる局面で学ぶ機会は多いのに、自分のことになかなかフィードバックできない。なぜだろう。もう70年も生きているのに。
 曹洞宗大本山永平寺の第78世貫首だった宮崎奕保(えきほ)師(2008年106歳で遷化)が、かつてNHKの番組で語った言葉が今でも忘れられない。「悟りとは何ですか」という質問に対し、「平気で生きること」と答えた。そのような心境になれないから、私など、マグロのようんだと言われ続けながら悪戦苦闘していて、それを良しとしている。もう自分のことより、他人のために、と強く思うのだが、他人のためにやろうと思っても、結局、自分のためを考えて悪戦苦闘している。その延長線上に他人のためになる結果があると信じてはいるのだが、言い訳かもしれない。
 東京から帰って来て、執筆中の児童書の原稿を書き直すことに決めた。先へ進めなくなったからだ。このままではストーリー展開が破綻すると思った。今日は、そのストーリーの再構築に集中することにした。基本方針は、シンプルにすること。盛り込むネタを減らすこともする。そうして、全体としては、面白くする。エンタメという意味ではなく、ハラハラドキドキ含めた感動だろう。
 1日考えたが、ストーリーはできなかった。こうなると、また迷ってしまう。無理な生き方をしているのではないか。「平気で生きること」宮崎奕保師の言葉が頭によみがえる。

3月29日(金)「武士道精神?・・・の風さん」
 今朝も陰気な天気で、雨が降りそうだ。ところが、気温がやけに高い。もうすぐ4月だからな。学生のころは進級して新年度だった。はるか大昔。社会人になってからも、新年度と呼ばれていたが、学校のように節目が明白ではなかった。前年度の決算報告はまだ出て居なかったし、新入社員が配属されてくるのも研修後で数か月先だった。定年退社する人は誕生日で決まる。
 ワイフは今日も実家へ出かけた。お母さんは夕方退院の予定である。同い年でもとても元気だったが、お父さんが昨年の8月1日に亡くなってから、衰えが顕著になってきた。お父さんの介護で気が張っていただけなのかもしれない。本来の年齢らしい老化を見せ始めたことになる。しかし、よく考えてみれば、私の18年後の年齢ではないか。自分の父親と同年齢で死ぬとすれば、19年後だ。母と同じなら21年後ということになる。新型コロナは何とか乗り切ったようだが、これから先、何が起こるか分からない。昨日は禅宗の僧侶の言葉を引用したが、もう一つ自分に身近なのは武士道だろう。江戸時代を舞台にした小説を書いてきたからだ。当時の時代背景として、武士の生き方は、死に方に通じる。潔く生きるために常に死を覚悟する。現代は、病気や怪我が死の原因だ(もちろん自殺や死刑、戦争に巻き込まれたり、殺人の被害者になることもあるが)。江戸時代の武士には、もう一つ、死の理由があった。責任をとっての自裁(切腹)である。だから、仕事に取り組む覚悟が現代とはまるで違っていた。
 午後になり、急に空が明るくなってきた。仕事の能力不足は承知しているが、とにかくやることが多いのは幸せなことだ。世の中に少しでも貢献できるのだから。そう思って、今日もとにかく地道にこつこつやり続けよう。武士ほとの覚悟はないが、生きている限り。

3月30日(土)「花粉症との戦い始まる・・・の風さん」
 昨日売れたメルカリ出品を、歩いて投函してきた。今年は超多忙でまったくと言っていいほど出品していないが、過去の出品がこうしてたまに売れる。一昨日、メルカリで古本を購入したばかりなので、持ちポイントは維持される。作家として必要な資料の中心は本だ。古本で十分なので、メルカリで探すと出品されていることがある。あと、Amazonで古本を買う。こちらは複数売られていて、傷んでいても安いものを選ぶ。読めればいいのだ。
 花粉症予報を見ると、非常に多いと出ていた。危ないシーズンである。朝から鼻がぐずついていたいので、アレルギール錠を服用しておいた。
 午後も頑張ろうと、昨日に続いて昼食はラーメンライスにした。ライスは茶碗で軽く一杯だったが、満腹になり、ソファで横になったら、気持ちよくてそのまま昼寝モードになってしまった。花粉症の専門薬だったら、夕方までダウンしていたかもしれない。幸い、服用したのはアレルギール錠だったので、夕方になる前に起き出せた。
 昨日の続きで、セミナーの修正提案書3に取り組んだ。休養がとれていたせいか、最後までできたので、土曜日にもかかわらず、事務局へ送付しておいた。週明けの月曜日に見てくれるだろう、たぶん。現役の社員が忙しいことは知っているので、来週末までに見てもらえたら御の字かも。アドバイスがもらえたら、また修正するし(修正提案書4を考えればいいのだ)。超ラッキーで通れば、秋のセミナー計画に入れてもらえるかもしれない。変化点管理の改訂版とも大いに関係するので、セミナーもセットで修正案を考えている。
 続けて、6月の講演の一つのタイトル案と内容を考えた。候補は既に2回講演実績のあるものだ。聴講者が限定されているので、カスタマイズすることになる。うまく当たれば喜ばれる。途中まで考えた。明日、この続きをやろう。
 今日は、下駄箱のちょっとした修理をした。下部の板がはがれていたので、よく掃除して、木工用ボンドで接着した。10年前に退社以来、家の修繕をこつこつ続けている。破損、劣化、汚濁が続けば、愛着もなくなり、自宅内での生活も荒れることが容易に予想される。だから、この修繕は重要だ。

3月31日(日)「陽気は良かったけれど・・・の風さん」
 起床時、腰が痛かった。原因はよく分からない。たまに起きる持病なので、気にしないことにしよう。今日もやることは多い。
 月末月初のルーチンで、2か所の洗面所の排水パイプと鏡の掃除をした。
 続けて、半年に一度の重要なルーチン。ゴキ用毒エサの交換である。天気が良くて、風もないので、絶好の作業日和だ。特に屋外設置を徹底したことで、大きな効果(屋内でゴキが出るのは1年に1匹くらいになった)が出ている気がする。大小2つの物置を先にやった。以前は、物置内にゴキの死骸を見付けたものだが、最近はない。続けて、通風孔を通して縁の下、水回り(台所、洗濯機、洗面所)付近3か所の交換をした。1年間効果のある毒エサを、半年ごとに半分ずつ交換している。縁の下も、ゴキの死骸は見付からない。退社後10年でこのレベルに達した。次回から半分に減らしてもいいかもしれない。今度は、屋内にもどって、主屋はもちろん、サンルームや庭のログキャビンにも設置した。こちらも、次回から半分に減らしてもいいかもしれない。常時生活しているのは夫婦だけだし。
 久しぶりにワイフと昼食を摂った。超多忙なワイフも、月末はスケジュールが空いていることが多い(笑)。
 ワイフが友人から借りてきたという絵本『パンどろぼう』を見せてもらった。読み聞かせに向いていて、かなり人気だとのこと。素人っぽい絵がいいなと思ったら、作者が描いていた。少子化が進んでいても、こういった絵本が売れていると聞くと、少しホッとする。
 昨日に続いて、6月の講演のタイトルと内容について熟考し、やはり平和のメッセージを入れるべきと判断した。事務局へ、メールで伝えた。
 明日から4月になるが、4月はどこかへ出かける予定が現時点はない。5月、6月の準備を着々と続けながら、児童書を仕上げなければならない。そして、編集者との打ち合わせだ。もう待ったなしだ。
 今日の東京は、日中の最高気温が28℃を超えたという。元日の能登半島地震から始まった今年だが、天変地異はまだありそうだ。
 腰痛は悪化することなく、1日が終わった。ストレッチや筋トレも完全に復活させたいな。